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Sligh'Hand

Author:Sligh'Hand

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Open Travelers
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ぐったりたぬぬ
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公園内でマジシャンを目指す新米教師。桜の下で「たぬき寝入り」するのがマイブーム。

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書けば良いってものでもなければ長ければ良いってものでもない、ですか

 こんにちは。 ぐったりたぬぬです。

 早速、キキさんから更新の催促もらっちゃったので、しぶしぶ更新作業中です。
更新催促
↑ ラピュタ王ならともかく、新世界の神とか、そんな台詞言った覚えはないんですけどねぇ……。

 先日、うだうだと退屈な文章を書きならべてしまった曜日の起源ですが、なんと、スラ←があーでもないこーでもないと書くまでもなく、すっきりまとめられたサイトを発見しました。 なんていうか、もうスラ←があれこれ言う余地はないですね。 記事は長ければ良いってわけでもないのです、きっと。





 さて、すっきりまとまったサイトを紹介した後は、例によって、です。 ほら、本文がたったの 3 行じゃぁあまりにもあんまりじゃないですかb

 全くの余談になりますけど、↑のサイトの最後に、ケプラーさんの名前が出てきます。 ケプラーといえば、ケプラーの法則で有名ですけど、この法則、ケプラーのお師匠さんことティコ・ブラーエの類まれな(?)観察眼がなければ成り立たなかったものなんですよb なんせこの師匠、望遠鏡もない時代に、肉眼だけの観測で惑星の距離を測定していたわけですから。

 歴史上初めて望遠鏡による天体観測を行ったのは、かのガリレオ・ガリレイだと言われています。 これが 1609 年の出来事。 それ以前の天体観測はもっぱら、六分儀を使って肉眼で星の角度を測る方法でした。 ちなみに、望遠鏡自体が歴史に登場するのが 1590 年頃。 当時の情報伝達の速度を考えれば、1601 年に没したティコ師匠が望遠鏡を使って天体観測を行うのは難しいでしょうねぇ。 ちなみに、ガリレオが使った最初の望遠鏡は凸レンズと凹レンズを組み合わせたもの。 正立像が見えるのが特徴です。 一方、今日一般に屈折式天体望遠鏡として市販されている望遠鏡は、またの名をケプラー式望遠鏡というもので、2 枚の凸レンズを組み合わせたもの。 像が反転してしまいますけど、視野が広いのが特徴です。 っと、話が望遠鏡に脱線するところでした。

 さて、驚異の観察センスで持って肉眼での膨大なデータを残したティコ師匠ですが、望遠鏡がないからと言って全く武器を持っていなかったというわけではありません。 実は彼、デンマーク国王から豪勢な天文台をプレゼントされていたんです。 この天文台、なんと地下に設置されていたというから驚きです。 星を見るのに地下からですかっ! なーんてツッコミを入れたくなったりするんですけど、師匠が観察に使っていた六分儀はちょっとした風を受けただけで揺れてしまって、真っ当な観測ができなかったとか何とか。 ってわけで、安定した地下に観測所を作って、天窓を通して観測を行ったんだそうな。

 そういえば、天体観測をするためのものじゃぁないですけど、エジプトのピラミッドにも、地下(というかピラミッドの中央部)から天体が見えるシャフトという構造がありましたよねぇ。 ピラミッドに作られた 4 本のシャフトを延長した先にこぐま座のβ星(紀元前 1500 ~ 紀元前 300 年頃の北極星)、りゅう座のα星(紀元前 2500 年頃の北極星)、おおいぬ座のα星(シリウス)、オリオン座のζ星(アルニタク)があった(ピラミッド時代当時)っていうアレです。 ま、そのシャフトも 2 本は途中で行き止まりですし、実際に観測したってわけじゃぁなさそうですけど。 はいはい、脱線脱線。

 ティコ師匠は今ではちょっと考えにくい地下からの天体観測で、膨大な観察データを残したわけなんですけど、彼は結局そのデータから研究成果をまとめる前に他界してしまいます。 しかし、仮に師匠に時間があったとしても、それをまとめるには相当の発想の転換を迫られたはずでしょう。 というのも、ティコ師匠は当時主流にして唯一の宇宙観である天動説を支持しており、自身の実験データからも天動説が正しいとする見解を持っていたため。 仮に地動説が正しければ、年周視差という現象が観測できるはずなのですが、彼の観測結果からはそれを示すデータは得られなかった、というのがその根拠。

 当時天動説は宗教公認の絶対的な宇宙論であって、世のほとんどの人々がそれを信じて疑わなかったわけです。 当時の思想のもとでは信仰は絶対であり、さらに言うなら、それに疑義を呈した後のガリレオなどは異端として裁かれているくらいです。 観測データがその説を後押ししたなら、そこからのパラダイムシフトは簡単ではないはずです。 実際、当時主流となっていたプトレマイオスの天動説 (全ての星は地球の周りをまわっていて、月より遠くでは一切の変化が起きない、とするもの) では説明のつかないデータがあったにもかかわらず、上記年周誤差が見られなかったことを根拠にティコ師匠は地動説を認めることはせず、修正天動説という宇宙論を組み立てています。

 ちなみにホントのところ、年周視差は存在しますし、観測もされています。 ただそれは、ティコ師匠から 200 年以上後になって初めて観測されたもので、もっとも大きな視差を示す恒星でもその値は約 0.8 秒。 具体的な尺度でいうなら 「分度器 1 目盛の約 1/4500」。 もっと具体的に言うなら、モスクワのラジオ塔のてっぺんから地上にあるモノの 1 mm のずれを観測するのに相当します。 流石のティコ師匠の眼力をもってしても、この視差を観測するのはそもそも不可能でしょう。 スラ←なんか下を見ただけで目がくらんでしまいそうです。 はいはい、またまた脱線脱線。

 とにもかくにも、最終的に蓄積された膨大なデータから法則を導き出したのは、師匠の後にそれを引き継いだケプラーでした。 師匠の死後 8 年後の 1609 年に 「楕円軌道の法則」 と 「面積速度一定の法則」 (後のニュートン力学でいう角運動量保存則)を発表し、そしてさらに 10 年後には 「調和の法則」 を発表します。 これらは現在、ケプラーの 3 法則と呼ばれているものです。 これらの法則は、それまで主流だった天動説に対して、地動説の有意性を決定的にするものでした。

 同じデータから師匠と弟子が全く異なる結果を導き出したのは、なかなか興味深い事実です。 こんなことが起こった背景には、2 人のセンスの違い、もっと言うなら信念の違いがあるんじゃないだろうかと、スラ←は考えます。 つまり、師匠が類まれな観察センスの持ち主だったというなら、ケプラーは類まれな数学的センスの持ち主だった、と。 というのも、ケプラーさん数を宇宙の秩序の中心と考えていたと言われていて、実際、彼の構築した初期の宇宙モデル (もっぱら太陽系の構成についての予測ですけど) は多面体だったり等比級数だったりと、単純な数の組み合わせによってできているはず! という彼の信念 (というか思い込み) に由来するものが少なくないのです。

 ケプラーのこうした考え方は、三平方の定理で有名なギリシアの数学者 (というか哲学者? あるいは教祖様?) ピュタゴラスから続く伝統的な自然哲学に基づくもの。 ピュタゴラスと言えば、数学の他、音楽の分野では協和音程の振動数が単純な整数比になっていることを発見し、ピュタゴラス音律を考案したと言われています。 ケプラーがその第 3 法則 「調和の法則」 を記した著書はその名も 『世界の和声学』。 そう、調和の法則とは、惑星の運行について和声的な調和 (ハーモニクス) が見られますよb っていう法則だったわけです。 ちなみにこの著書、露骨に音楽を意識したタイトルですが、タイトルだけでなく、実際の中身も音楽理論が記されていたりします。 そういった意味で、ケプラーはかなり徹底したピュタゴラスの信者だったと言えるかもしれません。 このあたりの事情はこちらのページで詳しく紹介されています。 ぁ、またしても脱線?

 結局のところ、弟子も師匠もともそれぞれの信念 (と言うか 「思い込み」) の強い影響下にあったわけです。 そしてそれぞれは全く逆の考えに至り、さらに 2 人とも科学史に名を刻むことに成功したわけです。 片や肉眼での最高精度の観測を行った天文学者として。 他方、惑星の運行を数学的なモデルで表した天体物理学者として。 そういう意味では、結果オーライな凸凹コンビだったのかもしれません。 科学史においては、どちらか一方しか名を残せないことも少なくないですから。

 ふぅ。 余談が高じて長文になっちゃいました。 毎度毎度結論を持たずに気の向いたままに書いているので、脱線したい放題、漂流したい放題の記事になってしまいますねぇ。 収拾つかなくなってしまう前にそろそろ強引に締めます。

 本文中でもちょっとだけ触れましたけど、同じデータから 2 人が出した結果がまるで違う点は興味深いところです。 もちろん、ケプラーの方が長い時間データを捏ね繰り回せたというお得な立場にはありますけど、それ以前に、それぞれの持っていた信念が大きく影響しているところがポイント。 師匠が存命だったとしても、おそらくデータの解釈をめぐって 2 人は喧嘩していることでしょう。

 片や国王から天文台を作ってもらえるくらいの観測の専門家で、その専門家データは地動説を肯定しないものなわけです。 当然自負もあるでしょうし、地動説は認めないでしょう。 一方、宇宙は音楽だ! と信じて疑わない理論屋さん。 師匠からもらったものとは言え、地動説に基づけば惑星の運行データは見事な調和 (ハーモニクス) を示しているわけです。 お互い信念の影響からは逃れられないと言うか、きっと討論させたら、それぞれの内心は穏やかじゃぁないだろうと。

 ↑みたいなのは、実は科学史ではよくあるのです。 信念が違うと同じ現象が違って見えたり、さらに行き過ぎると、そこにないものが見えたり。 リクエストがあればそういう話題も紹介しますb 時代背景や科学者の思想、センス、そんなところに目を向けながら読み解く科学史も、なかなか面白いモノなのです。 ま、そうはいっても、ここまで読み切る人の方がマイノリティでしょうから、次の企画はないかも、ですねw

 あと、内容については一通り間違いがないことを確認したつもりですけど、ご指摘などなどありましたら教えてやってくださいませ m(_ _)m それでは、ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございました~。

たぬぬのねごと | 22:19:21 | Trackback(0) | Comments(0)
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