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Sligh'Hand

Author:Sligh'Hand

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ぐったりたぬぬ
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公園内でマジシャンを目指す新米教師。桜の下で「たぬき寝入り」するのがマイブーム。

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cogito ergo sum

 こんにちは。 ぐったりたぬぬです。

 しゅーさくさんとこで、ソクラ氏ことソクラテスの名言に対する考察が Up されていました。 曰く、魂より認識する力のほうが人を人たらしめる上で重要じゃないかと思う、と。 興味のある方はご一読を。 なるほど、一理あります。 認識することをベースにして、そこからの演繹で論理を構築しようとしたデカルト的な発想ともいえるかもしれません。 「我思う、ゆえに我在り」 ってやつです。 ちなみに、ラテン語の cogito は 「我思う」という意味で、認知、認識を指す英語 cognition の語源になっています。

 ところで、しゅーさくさんの議論では 「魂」 の説明にキリスト教的な 「霊魂」 を当てていますけど、これって妥当なのかな? なーんてスラ←は考えます。 ソクラ氏が理屈を捏ねていた時代は紀元前 5 世紀の所謂古代ギリシアの時代。 キリストが生まれるのが紀元前 4 年頃と言われているので、当然ソクラ氏はキリスト教的な魂観を知らないわけで。

 んじゃ、ソクラ氏の持っていた魂観とはいったいどんなものなのでしょうか。





 ソクラ氏の魂観に進む前に、キリスト教的な人間を構成する要素の考えを少しだけ掘り下げてみましょう。

 キリスト教において、人は霊魂と精神と肉体から構成されると考えられています。 ここで言う霊魂とは、しゅーさくさんが指摘するとおり生きるための根源的な力、言い換えれば本能のようなものであるといえます。 順序が前後しますが、肉体、これは物質的な意味での身体ですね。 そして精神。 これが認識などの知性をつかさどるものとされます。 獣の類は精神を持たないかあるいはそれが成長しないとすれば、精神、すなわち認識する力は人を人たらしめるものとして、重要な存在です。

 で、本題。

 キリスト教の人間観に対してソクラ氏のいた古代ギリシアでは、魂はプシュケー (psyche) と呼ばれ、実在として外界とのやり取りを行う肉体に対して、その肉体を支配する精神や心として捉えられていました。 肉体の枷から魂を分離することが魂の浄化であるとされるなど、人間を身体と魂に分けて考えられていたようです。 いわゆる心身二元論ですね。 確かに、この時代の哲学者たちによって心はいくつかの機能 (たとえば本能的な機能や知性的な機能) に分けられることが見出されて来たってのも事実ですけど、それらの考え方はまだ確立されたものではなく、やはり大きくは魂と肉体という 2 つの概念で人が構成されるという考え方が主流だったわけです。

 ソクラ氏は人間の徳 (アルケー) とは 「魂を善くすること」 としていました (と言われています)。 彼の弟子たちの著作 (たとえばプラトンによる 「ソクラテスの弁明」 など) ここで言うところの魂とは、たとえば善悪の判断をする機能を持つものであって、現在の心理学で言うところの cognition すなわち意思決定などの高次認知を行う存在であったことは間違いなさそうです。 ちなみに、ギリシア語の魂 psyche はそのまま psychology すなわち心理学の語源となっています。

 その一方で、人の死とは魂が肉体から分離することであると考えられていたことから、ギリシアにおける魂がキリスト教で言うところの霊魂のような存在であったことも事実でしょう。 死後、魂が消滅するのか、肉体から離脱して不滅の存在になるのかは、当時の哲学者たちの間でも議論があったようです。

 つまるところ、ソクラ氏の言う魂はキリスト教的な発想の下で考えるのであれば 「霊魂」 と 「精神」 を統合したものであり、もちろん認識する力もその中に含まれると考えるのが妥当なんじゃないかなー、なーんてスラ←は思うわけです。 含まれる対象が大きくなっている文、ソクラ氏の方が漠とした議論にはなっていますけど、当時の人間を構成するものの概念からすれば、そうなってしまうのも無理は無いかと。 そういう意味では、同じ土俵で議論するってのはなかなか難しいのかもしれないですね。

 ところで、ソクラ氏の時代の哲学者がたとえば人以外の動物たちの魂と人間の魂についてどう考えていたかについては、ちょっと調べてみたいところですね。 人は人、獣は獣の魂を持って生まれてくると考えたのか、あるいは、もっと別の考え方を持っていたのか、興味は尽きません。


 予断ながら、ソクラテスはその弟子に 「結婚してもしなくても、いずれ君は後悔することになる」 なーんて語ったとかなんとか。 どうやら著名な哲学者も迷言を残すらしいです。

 「無知の知」 とかいろんな名言で有名なソクラテスですけど、実は恐妻家だったことでも有名なのです。 ソクラテスの妻といえば世界三代悪妻の筆頭に挙げられるクサンティッペ。 古い話で脚色された部分も多々あるでしょうから悪妻とは言いすぎなのかもしれないですけど、少なくとも、後世の語り草となる程度にはおっかない人だったんでしょう。

 クサンティッペがまくし立ててもソクラテスが一向に動じないので、クサンティッペはソクラテスに水を掛け、それに対してソクラテスは平然と一言 「雷の後に雨はつきもの」 なーんて言ったんだとか。 ここまで来ると、もはやコントですな。

 TS に結婚システムが導入されてしばらく経ちますけど、実はカバリア島のどこかでは、今日も↑こんなことが起きていたりして…… (ぇ。

未分類 | 14:29:19 | Trackback(0) | Comments(0)
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